スリランカ事業から撤退しました
BAJは、スリランカ内戦の停戦合意が成立した2003年1月から、コロンボ、ワウニア、キリノッチ、マンナールに事務所を置き、井戸やトイレの建設、学校校舎や公民館などの修復、帰還した国内避難民の技術訓練所の運営など、復興支援活動を進めてきました。また2004年12月のスマトラ島沖大地震による津波被災に際しては、緊急救援活動も実施しました。
しかし、スリランカはその後の和平合意に失敗し、政府と「ラミル・イーラム=解放の虎」(LTTE)との衝突はますます悪化し、事実上の内戦状態に至っています。BAJが人々とともに取り組んできた復興支援活動にも支障が現れてきたため、2005年4月にはBAJとして実施中の事業以外に新たな事業の開始を止め、情勢を見守ってきました。その結果、治安状況は予断を許さない状態となったため、大変残念ですが、2007年7月末で駐在事務所を閉じ、それぞれ地域行政機関や村落開発委員会などに引き渡して、全ての事業を終了しました。
なお、BAJホームページでは、スリランカ北部で今なお生活する女性からの手紙をプログとして掲載し、現地の様子をお伝えしています。(http://ameblo.jp/baj-srilanka)
詳細について、ご質問がありましたら、BAJ東京事務所までお問合せ下さい。
2007年10月
特定非営利活動法人 ブリッジ エーシア ジャパン(BAJ)
インド洋に浮かぶ熱帯の島国、スリランカの国土面積は約6万5千7百平方キロメートルで、北海道をやや小さくしたほどの広さで、主な輸出産品は、紅茶、天然ゴム、ココナッツなどです。
民族的な構成は、仏教徒のシンハラ人74%、ヒンズー教徒のタミル人18%のほかに、イスラム教徒、植民地時代に紅茶プランテーションの労働者として入植したインドからのタミル人グループなど、複雑な構成です。
1983年のある事件をきっかけに、シンハラ人とタミル人の対立が決定的となり、武装闘争を通じてスリランカ北東部の分離独立を求める「タミル・イーラム解放の虎」(Liberation
Tigers of Tamil Eelam = LTTE)と政府軍との戦闘は約20年間にも及びました。この内戦により約6万4千人が死亡し、100万人以上が難民や国内避難民となったのです。
2002年2月に停戦合意が結ばれ、多くの国内避難民が故郷に帰還を始めていますが、激戦地だった北東部は被害が非常に大きく、人々の生活の立て直しが遅れています。
BAJは、停戦合意後のスリランカでの復興支援活動を検討し、2002年10月にスタッフを派遣して2003年より本格的に復興支援活動を開始しました。
2004年12月26日、インドネシア・スマトラ島沖大地震により、スリランカ東部から南部の沿岸地域は津波による甚大な被害を受けました。BAJでは、2005年から2006年半ばにかけ、津波被災支援を被災地域で行いました。
BAJは、中心都市コロンボのほか、北部地域への入り口となるワウニア、LTTEの本拠地があるキリノッチ、インドとの交易が盛んだったマンナールに事務所を設置して活動を進めてきました。また、2004年12月に起きた津波被害の救援活動を行うため、東部のアンパーラにも事務所を開設し支援を行ってきました。
2007年6月をもって、BAJはマンナール県での以下の事業を終了しました。
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地域
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事業内容
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主な事業資金
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マンナール
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職業訓練センターの運営・農漁業機材の貸し出し
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JICA草の根技術協力事業資金
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